子供頃に自分の大切なものを集めて、しばらく大切にしていたことが、誰にでもあると思う。ブリキ製の金属の缶だったり、ボール紙で作られたキャンディの包装箱に入れられた宝物は、その持ち主に取っては、大切なモノだったに違いな い。
家族で過ごした夏の山で見つけたの蝉の抜け殻であったり、砂浜で拾い集めた 小さく、曇って丸くなったガラス片だったり。大人からみれば価値のないモノだけれど、自分自身が発見したからこそ大切にする。
ほとんどの大人は、そんなことはしないと信じられている。大人は、モノの価値を知っているよう振る舞う。インターネットでは、どんなモノの値段でさえ知ることができるし、価値のないモノは無用だと判断できる能力が大人には必要だ。
しかし、自分で見つけたモノを他のモノよりも特別に思うという感覚は、大人になってもあまり変わらないことが多い。その対象がキッチュなもモノから、他に移っただけに過ぎない。恋愛感情を抱いた対象の「自分が発見した魅力的な箇所」が、後で考えれば、それほどでもなかったことに似ているかもしれない。
それでも僕は、そんな無価値なモノを置いておくスペースを空けておく。子供の頃のように、「自分と他人はそれほど違わない」と思えるために。